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人肉事件

警眼社『少年犯罪と女性犯罪』白井勇松(1934)

第四章 犯罪雑話

三 人肉事件 ――迷信の罪――

 私が某監獄典獄※1在職時代、その県のある郡の山村に殺人事件が起こって、その当時人肉事件と称してじんの耳目をしょうどうせしめたものである。その被害者は四国のある売薬行商人※2である。その行商人が右村落に行商に行ったが、間もなく跡を断って行方不明となった。夫々それぞれ調べて見たけれどもそうせき不明である。所が偶々たまたま山間にその死体が現われたのであって、犯人検挙に大騒ぎとなったのである。
 死体を検査すると絞殺したと思わるる死体のでんにく及びももにくえぐり取られてあるので、何のための殺人であるか、いかにも惨忍の遣り方である。絞殺して置いて肉を剔り取ると、怨恨の畳み重なるに原因したのであるかないは何かめにする所あってのことであるのか、痴情関係の怨恨にる殺人事件では女を絞殺して局部に惨忍のにんじょうを加えたりなどした例はあるが、これは単なる悪戯いたずら的のてきしゅではあるまいと段々捜査の手は進んで、嫌疑者として年齢二十七、八歳の男が検挙せられて監獄に収容されたのである。続いてその共犯者として情婦である――情婦と言うても六十二、三歳の老婆である――婦人が収容せらるるに至ったのである。次いで郡会議員の職にる村内有力者たる中年のなにがしが共犯として収容さるるに至ったのである。ここに於いてかその人肉事件なる人心しんがいの殺人事相がさいぜんとして明らかになって来たのである。その郡会議員なる某が前記の若き男に殺人をきょうしたのである。下手人は若者であるが、主犯者はその郡会議員なる某である。老婆はその犯行をせる情夫の右若者を隠匿いんとくし又はその人肉を料理するの宿元を爲したのである。
 その郡会議員なる某は、あくしつ※3があって百方手を尽くせども治癒せず、人肉を食えば病気が治癒すると迷信的の話を聴かされ、これを実行してみたいと思うも中々良き方法がなく、日頃出入りする前記若者に何とか右実行の良案は無きかと話す、その若者はこの頃旅売薬商人が来て居る、何処の者か訳が判らない彼を殺してその肉を剔り取りて煮て食って見ては如何であるかとけんさくし、それは宜しかろうと云う所より、その若者は同人の教唆を受け、その売薬行商人を山中にゆうしゅつして絞殺し、その臀肉及び股肉を剔り取って死体を遺棄したのである。
 審理の末それぞれ刑に処せられたのであるが、郡会議員なる某は無期懲役を言い渡されたのである。右某はその判決に対し、控訴を申し立てた。然るに時偶々たまたま明治天皇崩御に際したのであったため某はいずれ恩赦が行わるるであろうと考えた。それには控訴中であっては恩典に浴することが出来ないであろう、早く控訴を取り下げて判決確定を見て置くに如くはないと彼自ら独断してすみやかに控訴を取り下げた模様である(控訴申立後間もなくいちがや監獄に移送)その当時の恩赦は個人的にその人格、犯罪事情、犯罪の状態、改悛の状、保護者その他各般の事情等を調査して適切と思う者に対し法令の定むる所に従って恩赦をそうせいし、恩赦を施し給うたのであるから、彼はその恩赦には浴し得なかったのであったと思う。
 この事件は往時一世を轟かしたるぐちさぶろうの同ねいさい殺しに似たる様(男三郎の臀肉事件※4として)のものである。数年前には第一、第二、第三と云った様に、第一の鬼熊事件※5があってそちこちに同様の事件が相次いで起こり、又ずっと戦慄すべき事件があったのであり、この頃に至ってはバラバラ事件、コマギレ事件と云う様の惨殺事件は東京を始め各地にあり、又大仕掛けのギャング的殺人事件が白昼帝都において行わるる世相となったのであるが、右人肉事件は当時はなかなか人心をげきし人をして慄然たらしめたのである。


※1 典獄(てんごく)……監獄の事務をつかさどる官吏 
※2 原本では「賣楽行商人」。「楽」ではなく「薬(くすり)」の誤字であろう 
※3 悪疾(あくしつ)……たちが悪くて、治りにくい病気 
※4 臀肉事件(でんにくじけん)……明治35年(1902年)に起きた殺人事件のこと。「野口男三郎事件」とも。容疑者である野口男三郎が少年を殺し臀肉を切り取ったとされる(裁判では証拠不十分で無罪になったが、他の強盗殺人他で死刑判決) 
※5 鬼熊事件(おにくまじけん)……大正15年(1926年)に起きた殺人事件のこと。鬼熊こと岩淵熊次郎が複数人を殺害・重傷を負わせ、地元の山中に逃亡。警察は大量の人員を動員して山狩りをしたが捕まらず1ヵ月以上逃亡の末、村民や新聞記者の前で服毒自殺した 

警眼社『少年犯罪と女性犯罪』白井勇松(1934)p117-119

※文章は読み易くするため適宜、旧漢字は新漢字に、ルビや送り仮名、仮名づかい、改行なども訂しています。


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